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東京高等裁判所 昭和57年(う)86号 判決

被告人 及川忠良

昭二六・一二・二九生 無職

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鳥羽田宗久提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点について

所論は、本件の事実関係のもとにおいては、少くとも原判示の工藤脩二に対する二回にわたる覚せい剤譲渡、同中山新一郎に対する三回にわたる覚せい剤譲渡、同吉野浩一に対する二回にわたる覚せい剤譲渡は、それぞれ極めて接近した時間内に前後して行われたものであるから、包括一罪とみるべきものであり、これらについて各別に譲渡罪が成立するものとし、全体を併合罪とした原判決は、罪数についての法令適用を誤つたものであつて、この誤りは明らかに判決に影響を及ぼすものである、というのである。

そこで、原審記録を調査検討すると、原判示罪となるべき事実のうち、先ず、工藤脩二に対する二回の覚せい剤譲渡の点(原判示第一の一および二)については、関係各証拠によれば、原判示の工藤脩二は、昭和五六年六月一一日午後七時ころ、被告人の当時の居宅であつた原判示藤野荘の東郁子方(以下単に藤野荘という)において被告人から原判示の覚せい剤約二グラムを代金二万円で購入し、一旦住居に戻つたが、少し余分に買つておこうと考え、同日午後九時ころ再び藤野荘に赴き、被告人から覚せい剤約二グラムを代金二万円で購入したこと、被告人は、右のように工藤が覚せい剤を求めて来宅した都度、同人に覚せい剤を売渡したものであり、その覚せい剤は、鞘木正二から売却の指示をうけて預つていたものの一部であること、以上のような事実を認めることができる。右事実関係によれば、被告人の工藤脩二に対する覚せい剤の各売渡しは、それぞれ別個の不法譲渡罪を構成するものというべきであり、これを包括して一罪と解すべき理由はないから、原判決が右工藤に対する各譲渡を別個の罪にあたるとし、併合罪として取扱つたのは相当であつて、その法令適用になんら誤りはない。次に、中山新一郎に対する三回の譲渡(原判示第一の五、六、第二の一)については、関係各証拠によれば、原判示の中山新一郎は、昭和五六年六月一二日午前一時ころ前記藤野荘において被告人の内妻である東郁子から覚せい剤約〇・五グラムを代金一万円で購入したこと、右の覚せい剤は被告人が前記のように鞘木から売却の指示をうけて預つていたものの一部であり、被告人は右郁子に対し適宜客に対し売るように指示していたのであつて、郁子は被告人の意をうけて中山に売渡したものであること、右中山は、代金一万円分の覚せい剤として〇・五グラムというのは量が少いので、今度は被告人に直接交渉しようと考え、あらかじめ電話で被告人がいることを確かめたうえ、同日午前三時ころ再び藤野荘に赴き、被告人から覚せい剤約二・五グラムを代金二万円で購入し、一旦住居に戻つたが、さらにまた覚せい剤を購入すべく同日午前五時ころ藤野荘に赴き、被告人から覚せい剤約三グラムを代金三万円で買受けたこと、被告人は右のように中山が覚せい剤を求めて来宅した都度、同人に覚せい剤を売渡したものであつて、その覚せい剤は前同様に鞘木から預つていたものの一部であること、以上のような事実を認めることができる。右事実関係によれば、中山新一郎に対する郁子又は被告人の合計三回にわたる覚せい剤売渡しは、それぞれ別個の不法譲渡罪(一回目は被告人、鞘木、東の三名共謀によるものであり、二回目と三回目は被告人、鞘木の両名共謀によるものである。)を構成するものというべきであり、これらを包括して一罪と解すべき理由はないから、原判決が右の各譲渡を別個の罪とし、併合罪として取扱つたのは相当であつて、その法令適用になんら誤りはない。さらに、吉野浩一に対する二回の譲渡(原判示第一の九、一〇)については、関係各証拠によれば、原判示の吉野浩一は、昭和五六年六月一四日午前二時ころ、友人の石原嘉尚と共に前記藤野荘に赴き、同所で被告人から覚せい剤約一グラムを代金一万五〇〇〇円で購入し、住居に戻つて石原と共に覚せい剤を注射して使用したが、その後石原にもう一度買いに行こうと言われたので、同日午前四時すぎころ、石原と共に再び藤野荘に赴き、同所で被告人から覚せい剤約三・五グラムを代金四万三〇〇〇円で購入したこと、被告人は右のように吉野が覚せい剤を求めて来宅した都度、同人に覚せい剤を売渡したものであつて、その覚せい剤は前同様に鞘木から預つていたものの一部であること、以上のような事実を認めることができる。右事実関係によれば、吉野浩一に対する二回の覚せい剤売渡しは、それぞれ別個の不法譲渡罪を構成するものというべきであり、これを包括して一罪と解すべき理由はないから、原判決が右各譲渡を別個の罪に当るとし、併合罪として取扱つたのは相当であつて、その法令適用になんら誤りはない。

所論は、包括一罪を認めた高裁判例を引用するのであるが、所論引用の福岡高裁宮崎支部昭和三一年七月二五日判決は、当該事件の被告人が約一か月の間に、覚せい剤を三回譲受け、その覚せい剤を八名の者に合計九〇回にわたり譲渡したという事案について、右譲受、譲渡のすべてを包括一罪と解すべきものとしているのであり、包括一罪の成立する範囲を広く認めすぎた嫌いがあつて、当裁判所としては賛成することができない。また、所論引用の東京高裁昭和三一年三月二六日判決は、売春婦の置屋を経営する被告人が、その抱え女九名に対し八か月余の間に合計二八三回にわたり覚せい剤を譲渡したという事案につき、各譲受人毎に包括一罪を構成すると解すべきであるとしているのであるが、右は特殊な事案に関するものであつて、本件に適切なものではない。さらに、所論引用の東京高裁昭和五四年二月二一日判決は、同一人から同一の場所で極めて接近した時間内に前後二回にわたり覚せい剤を譲受けたという事案につき、これを包括して一罪を構成するものとみるべきであるとしているのであるが、右は、取引の当事者が一回目の取引の場所にそのままとどまつている間に、引続き取引分量を追加する趣旨で二回目の授受をしたというものであり、本件とは事案を異にするものというべきである。

以上のとおりであるから、原判決には所論のような法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について

所論は、原判決の量刑が著しく重きに失し不当であるというのである。

そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果をも考え合わせて判断すると、本件事案の内容は原判示罪となるべき事実のとおりであり、被告人は他と共謀のうえ、営利の目的で多数回にわたり覚せい剤を数名の者に譲渡し、あるいは所持し、そのほか覚せい剤を自己に注射するなどしたものであつて、被告人が取扱つた覚せい剤の数量も多量に上るものであるから、その罪責は甚だ重いといわなければならない。被告人は昭和五一年ころから覚せい剤を自己使用していたものであり、同五五年秋ごろ原判示の鞘木を知り、同人から覚せい剤を買受けていたところ、同五六年五月下旬ころ同人から覚せい剤の密売を頼まれてこれを承諾し、鞘木から覚せい剤を預りこれを自己の住居で売りさばくようになり、本件各犯行に及んだものであつて、覚せい剤とのつながりは長期にわたつており、覚せい剤に対する親和性も根深いものがあるというべきである。以上のような本件事案の内容、被告人の覚せい剤とのつながりなどの諸点からすれば、被告人には前科が全くないこと、本件の覚せい剤は原判示の鞘木が他から仕入れて被告人に預け売却させていたものであり、鞘木の罪責が被告人より重いとみられること、本件の覚せい剤譲渡により被告人の得た利益はそれほど多いものではないことなど所論の指摘する諸般の情状を斟酌しても、原判決の量刑はやむを得ないものというべきであつて、重すぎて不当であるとは考えられず、論旨は理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中七〇日を刑法二一条により原判決の刑に算入することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 市川郁雄 簔原茂廣 千葉裕)

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